ああすれば良かった、こうすれば良かった、何が正しいことなのか分かってても今の自分には出来ない。
こんなことをしてあげたいのに、今の自分には出来ない。
占いや姓名判断でアドバイスされた良くないと分かっている事も正すことが出来ずに楽な方に流されてしまう。
あなたが正しいと思う事は正しいとも限らない
人は、正しいと思っていること、良いと思っていることが、どうしても出来なくて、そんな自分が嫌で、してあげられないこと、出来なかった事を悔やみ落ち込み、自分の存在や人生を否定したり、これから先を悲観することがあります。
その日を食べることに必死な動物とは違い、生きる目的を考える余裕がある人間は、様々な事を思い悩みます。人間にだけ、お金というシステムと価値感があるからです。
ロボットなら、プログラムされた通りの事を完璧に成し遂げますが、人間は生命維持の基本的プログラムしか持っていないので、ロボットのように、正しいと教えられた事だけをやるのは不可能です。
そして人は、縄張りや食べ物を得るという本能以外の部分で、他人をモラルを振りかざし攻撃します。
人としてあなたは間違っている、人としてあなたは劣っている、と、自分が間違っていると思うことをしている人に、あなたは間違っている、迷惑をかけている、悲しませている、苦しめていると非難だけをする。
縄張りを荒らされたり、食べ物を奪われれば動物でも相手を攻撃します。
自身が生きていくために本能で戦う。
それは人間も同じですが、違うのは、自分には被害が及ぶことはないのに、自分の価値観と異なる事をしている相手を見つけて言葉で攻撃することです。
しかし、そうやって他人の過ちを攻撃する人も、何もかも正しい事ばかりで生きてはいません。
誰もが少なからず、「これくらいはよいだろう」と、自分勝手な事を考え、自分の価値観と、自分に出来ること、自分の環境の中で、誰かにとっては正しくない事をして生きているのです。
自分には出来なかった事、してあげられなかった事、過ぎ去った時間、過去を見て、正しい事が出来なかったと自分を責めてはいけません。
誰しも正しい事だけを行い生きていくのは不可能です。
あなたはあなたなりに出来る事をやってきたし、人は誰かに生かされるのではなく、自分の力で成長し、学び、生きていくのです。
その原則は不変であり、あなたが何かをしてあげたかった事は、誰かにとって全てではく、ほんの一助に過ぎません。
もし、あなたが正しいと思う事が出来たとして、それは相手にとって最善なことだったでしょうか。
あなたが正しいと思う事をしてあげられても、相手にはそれが負担であったり、苦痛であったりして、余計にあなたの理想からかけ離れることだって少なくないのです。
「なんであなたは私がこんなに一生懸命してあげているのに分かってくれないのか」そんなやり取りは、いろんな状況で起きています。
人は正しい事だけをして生きられません。
正しいと思う価値観は人それぞれで、何が正解なのか、なんて誰にも分からない。
あなたが誰かの行いを見て、それは正しくないと感じるなら、自分はそうしないと思うだけでよく、声にして非難する必要はない。
自分が正しいと思う事が出来なくても、悔やむ必要はない。
もう二度とやり直せない過去のことなら尚更です。
これから、明日、あなたに何が出来るか、占いや姓名判断で聞いた運気の開ける方法を実行しよう、自ら考えたベストプラクティスの中から出来るだけの事をやろうとする気持ちを持ち続けることが大切です。